ロベール・クートラスのカルト

お知らせ 白線文庫

白線文庫でも大小の作品集の取扱いのある、ロベール・クートラス。

ご縁あってクートラスのカルトを店内に飾らせていただいています。

私たちがクートラスの絵を実際に見たのは2012年のフランスのシャルトルでの展覧会でした。

その日は日曜日。シャルトルの大聖堂ではミサがおこなわれていて、

一歩踏み入れると高い高い天井とステンドグラスからもれる日の光、

そして聖歌隊の壮大な賛美歌に体全体が包まれたような不思議な感覚。

異国の田舎町の、大聖堂のすぐ横の美術館で見たクートラスは今でも忘れられません。

それから数年。まさか自分たちがここでこうしてお店を開いていることも、

お店でクートラスをかざらせてもらうことができるなんてことも、

その時には夢にも思いませんでした。

 

そしてこの度、ありがたいことにさらに数点のカルトをお貸しいただけることになりました。

3/3(金)より4月の初旬まで、店内にてひっそり展示をさせていただきます。

作品集の販売はいたしますが、作品は個人の蒐集品ですので販売などはいたしません。

※閲覧の際はカフェのご利用をお願いいたします。

 

栃木の黒磯で白線文庫を開けていた頃、お客さんとの会話の中で

今でも印象に残っている話があります。

詩人についての話でした。

世の中には詩集を読む人と読まない人、二種類の人間がいるのだけども、

詩集を読むのは詩人だけなんですよ、というようなことをおっしゃっていたと思います。

“詩を読むのは詩人だけ”ということは、詩を読む人は、

詩を書いてはいなくても潜在的には詩人と呼んでいいいのかな、などと

あれやこれや考えていて、ふと、

詩人というのはただ詩を書く人だから詩人というのではなくて、

その人の在り方のことなのだな、と、思った記憶があります。

その時の話は、詩集というのはあまり売れないものだという話だったような気もしますが、

その頃私がちょうどクートラスについて考えていたことと重なり、

詩人の話がクートラスとむすびつき、心の中に染みついています。

 

クートラスのカルトの作品集『僕の夜』に、クートラスの友人の画家ヤンケルが

生前のクートラスにむけた、こんなことばが引用されています。

「クートラスはロマネスク時代の存在なんだよ。

彼は12世紀に生きればよかった。

今の時代はこうした孤独な夢想家、天才的な職人そして心底からの詩人なんか見向きもしない。

われわれの時代は、詩人たちを必要としていない。」

 

ここでいうわれわれの時代というのは、20世紀のことでしょう。

さて、今は。

 

じわじわとですが、クートラスの絵をいいなぁと感じる人が増えてきている気がしています。

知人にもクートラスを所有している方がいますし、

不思議なご縁ですがこうしてハクセンでもかざらせてもらっています。

クートラスが今の時代に生きていたとしたら。

「捨てたものじゃないな。」とか言ってくれるのかなぁ、なんて勝手に考えてみたりしています。

 

kaori

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